ゲームと台詞の関係

ゲームの台詞表現って色々あるけど、どれがいいの?

ゲームの台詞表現はあまりに稚拙

 ゲームは最先端の文化であると同時に、最先端であるが故に、あまりにも発展途上である。
 その事を痛烈に感じるのは、キャラクタの台詞の表現方法の稚拙さである。
 小説、漫画、映画、どれと比べても、その平均レベルは劣っていると言わざるを得ない。
 ゲームにおいては、台詞の質そのものも、かなり低いと言えるが、ここで言いたいのは台詞の質では無く、その表現方法である。

 小説、漫画、映画、それらのどの手法も取れるというゲームのぬえ的な性格が、逆に台詞表現の洗練を妨げているというのが皮肉である。
 要はどっち付かずで、小説としても問題外、漫画としては常識はずれ、映画としてみたら最低、という出来である。
 ゲームの台詞は、もっと積極的に「ゲームとして最高」という表現方法を見つけなければいけない。

 台詞に使われる文字種については文字種とゲームの進化を参照して欲しい。
 今回は、いわゆる立ち絵による会話システムを想定して絵を作ってみた。

名前「台詞」

 キャラクタと台詞を関連付ける手法として、台詞の前にキャラクタ名を表示するというモノがある。
 台詞の前にキャラクタの名前が表示されるのは戯曲であるとか立川文庫の手法である。必ずしも悪い事とは言えないものの、現在そのような手法が一般的でない事からも、古い手法であると言っても間違いないだろう。
 最先端であるはずのコンピュータゲームが、講談の文庫化と同じ体裁で良いのだろうか。

エツコ「ようこそ たびのひと ここは とびしまがくえんよ。くろウィンドウと まるゴフォントで ドラクエっぽいわ。
安心感すらある伝統の表示方法

 この手法は、コンピュータゲームとしても、もはや伝統的とすら言える手法であり、長く使われているだけに利点もある手法と言える。
 何しろ、しつこく名前が出るのでプレイヤーにキャラクタの名前を覚えさせる事かできる。逆にいうとうざったい。
 他の利点としては用意するデータが少なくて済む、画像との関連性をさほど考えなくても良いので制作者が脚本に集中できるなどである。
 シンプルな作りである事から、割と制作者にとって利点となる部分が多い。

 超人気ソフトであるエニックスドラゴンクエストが採用している事が、制作者に取って免罪符になっている気もする。「ドラクエが使ってる方法なら安心」という感覚である。
 基本的にドラゴンクエストシリーズのシステムは既存システムの焼き直しであり、安心できると同時に古い。ある種「ドラゴンクエストだから許される」事とも言える。

枠に名前

 ドラゴンクエストにおいて表示される枠には、複数の人物の台詞が流れて行くだけでなく状況説明にも使われることからも、台詞枠というよりも「コンソール」としてとらえられていると見て良いだろう。
 ちなみに、ドラゴンクエストでは、その他の人物を示す記号が「*」、つまりワイルドカードのシンボルと同じであることもコンソールを思わせて、なかなか興味深い。

この枠内で喋るのは 私だけ スーパーファミコンの後期になると 半透明のウィンドウも出てきましたね
キャラクタと台詞の一体感を上げるため、キャラ絵の下に名前をおいたり、話していないキャラは色を暗くしたり重ね順を後ろにしたりする場合も

 さて台詞表現であるが、枠に台詞を喋っているキャラクタを書くという手法もある。
 こうなると、キャラクタ毎に台詞枠が用意されることとなり。台詞とキャラクタの一体感が高くなる。
 逆に、キャラクタ毎に枠内をクリアする必要があるため台詞の連続性が悪くなり、キャラクタの掛け合いのテンポを損ねる。
 コンソールタイプならば、台詞が連続する場合と一旦クリアする場合とで台詞の流れに緩急をつける事ができたが、そのような演出ができなくなるのが不利な点である。

同じキャラが複数いる!

 アクション、RPG、シミュレーションでは、メイン画面のキャラクタが小さく、キャラクタの個性を主張するのが難しいので、メッセージの横にキャラクタを表示することが少なくない。
 またアドベンチャーゲームでは、メイン画面とは別に台詞の発言者を特定するのと同時に、キャラクタの表情データを少なくする目的もあってメッセージの横に顔が表示される事が多い。
 これは、先に述べた名前付きの枠の名前が顔の絵に変ったともとれるが、顔付きの台詞枠はキャラクタの分裂という別の問題を生んでいる。
 映画の常識から言えば、二か所以上に役者が登場し別々の演技をする事など、全くないとは言わないが、少なくとも常にやる演出ではあり得ない。そんな事をされては観客は混乱するからだ。ところがゲームにおいては、なかば常識として通用している。
 ここで、私は声を大にして言いたい。「こんなアホな事が常識になってはいかん!!」と。

せっかく画面が広いのにプレイ中はウィンドウしか見てなくてゲーム全体の印象が弱くなっちゃうことも!
2カ所に同一人物が現れるのはややこしい

 キャラクタが2ケ所に存在すると、どっちを見て良いか分からない。メッセージの横のキャラクタが本物なのかメイン画面のキャラクタが本物なのか?
 そもそも、どちらの演技がゲームのヒントになるのか分からない。
 となると、メイン画面にキャラクタが出る時は台詞横の顔は消えて欲しいもんである。
 例えば、ワークジャムクロス探偵物語では、メインの画面に登場している人物が喋るときは台詞の横の顔は出ないように工夫されている。

 映像作品では画面に別のシーンを重ねるカットインという手法があるが、その場合も2ケ所に同じ人物が登場することは稀だ。
 同じ画面に同じ人物が数カ所に登場するのは漫画の手法である。
 だがゲームの場合、漫画のように画面を見る順番が確立されていないので、どう見ていいのかわからなくなる。

 ゲームでは動画を使用することもでき、かつその動きがプレイヤーの入力に依存するため、その文法の確立は困難か不可能と考えるのが自然であろう。
 かといって、プレイヤーから制御権を奪うのは本末転倒。
 映画やTVドラマと違い、小説や漫画と同じようにプレイヤーが進行を制御できる事がゲームの良い所であるから、極力その利点をスポイルしないようにデザインするべきであろう。

 問題も多い手法であるが、最初に書いた様に手軽にキャラクタ性を強める事ができるため、今後も多用される手法ではないかと思われる。

キャラクタと台詞の乖離

 台詞とキャラクタの乖離も深刻な問題と言える。
 漫画であるならば、フキダシのシッポによって台詞がどのキャラクタのものかはっきり分かるようになっている。
 しかし、ゲームにおいてはキャラクタと台詞の相関関係が希薄である。
 別の言い方をすれば、キャラクタの表示されている場所と台詞の表示されている場所の関連が薄いと言える。

 乖離というならば、洋画の字幕もそうではないかと思う方もいると思う。
 実際、あれは台詞とキャラクタの乖離である。
 しかし、最近は出演者の位置にあわせて字幕の位置を変える事が一般的になっている。
 つまり、字幕が漫画のフキダシの機能を持ちはじめているのである。
 ゲームだって、このままで良いはずは無い。

ほとんど漫画ね!ここまで来るとゲームでは使いづらい気もするわ
漫画はコマがありゲームにはない(事がほとんど)なので自ずから使い方は異なってくる

 この事に関して、スクウェアは適切な回答を、しかもかなり前から提示している。
 私が、気づいたのはスーパーファミコンのロマンシング サ・ガである。このゲームではキャラクタに漫画と同様にフキダシが付いていた。その位置は固定であったものの画期的なことであった。
 これは、このゲームの一番のウリであるフリーシナリオ以上に評価して良いシステムだと思う。
 ファイナルファンタジーシリーズでもキャラクタのそばに台詞が表示されるシステムが採用されていて、私はその事を高く評価している。
 が、残念ながら、FF Xでは映画の字幕の様に文字が下に表示されるようになってしまった。
 ハッキリ言ってあれはシステムとして退化している。
 映画の字幕だって漫画のフキダシに近付いているというのに、なんという浅はかな変更!!
 画像(つまりキャラクタ)が表示できるゲームで、台詞をキャラクタの画像と関連づけないというのは愚かであると言っても過言ではない。

 なお、記憶だけだとフキダシ方式を本格的に採用したのはスクウェアより前に、Cinemaware・MindscapeKing of Cicagoがフキダシを採用していて、選択肢は複数のソートバルーンから選ぶなど、斬新なシステムであった。
 Cinemawareのシリーズでもう少し前からあったような気もする。

 漫画のフキダシを全面的に採用すれば、それで事は収まるのであろうか?答えは否である。
 漫画はあくまでも静止画であるが、ゲームは動画である事も多い。今後はますます動画である事が多くなるであろう。
 また、ゲームは操作可能(インタラクティブ)なので、会話をした際のキャラ位置が一定ではないことも問題で、ちょっとレイアウトを間違うと誰が喋っているのか分からなくなる。

 さらに漫画はコマ割りという手法があるが、ゲームにおいてコマ割りという手法はほとんど存在しない。
 実験的、もしくはパロディ的にセガコミックスゾーンなどが採用している位だ。
 コマ割りを持たないゲームが漫画の真似をしても、フキダシがゲームの手法として最高のものになる事はあり得ないだろう。

 表示されたキャラクタが一斉に喋る事が多いオンラインRPGでは、フキダシは一般的な手法である。セガファンタシースターオンラインも採用している。
 そのため、一番フキダシ方式が研究されている分野ともいえ、フキダシの色を変える、重なりを変える、枠にキャラクタの名前を表示するといった、漫画と異なった方向にフキダシの文法が作られはじめている。
 ショージキなところPSOやiChatでフキダシチャットになれると、他の方法はものすごく寂しく感じる。おそらく特にゲームでのチャットメッセージの主流はフキダシに収束して行くだろう。
 オンラインゲームでなくても、コーエーの無双シリーズのようにチャット的に状況報告が入る場合、フキダシとの相性は良い。

 現在のコンシューマゲーム機はテレビが出力装置であるため、文字がある程度大きくならざるを得ず、そうなるとフキダシ方式はキャラクタごとに表示枠が必要であるため、画面のリソースを無駄に消費してしまうという問題がある。有り体に言って邪魔なのだ。
 逆に言えば、高解像度のパソコンのゲームでは既にかなり有効な手法として利用可能である。

 ちなみに、テクモキャプテン翼、アスキーダービースタリオン等、キャラクタの位置が固定のものならば比較的昔から採用されていたようではある。

 漫画では逆にシッポのつかないフキダシを使う作家も増えており、シッポの有る無しよりもキャラに対する配置の方が重要と言えそうだ。
 もしかしたらシッポのないゲームのウィンドウの影響があるのかもしれない。

音声と文字

 音声があって、さらに文字でも表示されるというのは一見親切だが「ハッキリ言って余計なお世話」であるとこも多い。
 聴覚障碍者にとっては、音だけでなく文字でも表現されるのは、たいそうありがたい事に違いない。
 しかし、同じ内容の音声と文字を同時に置くという手法は、台詞の表現としてベストな方法では無いだろう。どちらに表現したいものがあるか曖昧になってくるからだ。
 同じ内容の音声と文字が同時に使われる場合、どっちにも自信が無い場合に取る折衷的な手法と断じても構わない。
 適切な手法を選択するのが、クリエーターとしての最低限の礼儀であるし矜持である。

映画っぽいけど動画の上でないと さほど意味がないかもね
音声があるなら字幕は蛇足情報とも言える

 そして、ゲームで大切な事はインタラクティビティ(双方向性)である。
 本と同じように、時間をプレイヤーが管理できるとういことが、ゲームの利点の一つであると言える。
 しかし、ゲームの中のキャラクタが音声で語りはじめると、ゲームの利点であるインタラクティビティが疎外されてしまう。
 具体的に言えば、演技をしている間はプレイヤーが待たなければならなくなる、という事である。
 一見、音声で表現できるようになったことで、表現の幅が広がった様に見えるが、プレイヤーの介入の幅が狭くなったという意味では退化と言える。
 ゲームとしては台詞を音声化することは退化である、と言い切って良い位に「ゲームとして」良くなる方向での使い方は難しい。

 実際に、イベントシーン以外の通常の台詞を音声だけで表現しているゲームが、ワープ風のリグレットやチュンソフト3年B組 金八先生 伝説の教壇に立て!など非常に少ないのが、音声表現は本質的にインタラクションが重要であるゲームに合わないことの証拠と言えそうだ。

 その点、エニックスジーザス等で使われている、文字を表示する時の音の高さや音色を、キャラクタ毎に変えるという手法は、なかなか考えられたものと言えよう。
 例えば、男性の台詞なら一文字表示する度に「タ」という音を出して、「タタタタタタタ」という感じにメッセージを表示し、女性の台詞なら「チ」という高めの音で「チチチチチチチ」とメッセージを表示するという方法である。
 任天堂どうぶつの森スプラトゥーンシリーズ、カプコン大神などでも、おなじみだ。
 この方法の問題点は、一文字表示する度に音を出すため、結局台詞を表示する時間が音声で台詞を喋るの程ではないにせよ、ある程度必要になってしまう事だ。

 さらに進んだ方法として、音声によるイメージの拡大と、インタラクティビティのバランスの良い手法をとっているのは、任天堂ゼルダの伝説や、セガエターナルアルカディア等で使われているモノである。
 具体的には、効果音に近い短さの「わぁお」「ふーむ」などの音声を出すと同時に、台詞は「いやぁ、そいつは驚いた」「なかなか興味深いことだな、それは」、といった長いものを表示するという手法である。
 音声による演技と同時に、一気に台詞を表示する事ができるため、音声による表現力を持っている上に、プレイヤーから選択権が取り上げられる時間が少ないのが、なにより優れている。
 音声でキャラクタとの関連付けができるのはもちろん、ファイル容量も少なくて済む、という点でも優れている。
 現在の所、ゲームにおける最も優れた台詞の表現方法のひとつであると言えるだろう。

関連メッセージと音声

その先は?

 勿論ドラゴンクエストがそうであるように、ここで紹介した方法がそのゲームにとっての最適解であることもあるだろう。
 しかし、多くのゲームは無批判にドラクエスタイルを踏襲しているか、むしろ破壊している状態と言ってよい。

  方法のひとつとしてメイド漫才で使用しているスクロールフキダシを紹介しておく。
 スクロールと半透明化を併用による読む順番の分かりやすさ、フキダシのシッポによる喋っている人物の分かりやすさ、人物が画面内で分裂しない分かりやすさなどを持つ。
 しかし、レイアウトが限定されてしまい3キャラクタ表示が困難、などの欠点もある。

 もうひとつテクス君とティオちゃんのIF入門を紹介しておく。
 これも前述のスクロールフキダシの亜種だが、フキダシとキャラが一体となっているので、3キャラでも4キャラでも置ける利点がある。
 同じキャラクタが同じ画面中に沢山出てくるものの、読む順番がはっきりしているので混乱は少ない。
 ただし、大きなキャラクタ画像を置けないという欠点もある。

 そこで結論。

台詞とキャラクタ、その関係は発展途上

追記

 フキダシを使ったチャットの例としては、今はLINEの方が適切か。

 ゲームの台詞表現は、特に日本のゲームではフキダシ方式(といっても従来のウィンドウ形式にシッポがついただけが多い)が席巻している。
 しかしフキダシ方式はリアルな画面では収まりが悪いため、文字を出す場合も字幕を使った映画の字幕的表現が使われていることが多い。
 洗練度は高まっているとはいえ、まだまだコンピュータゲームの台詞表現は発展途上ともいえる。

追記

 映画的ゲームの存在理由の追記で書いた通り、プレイヤーキャラを動かしている時に音声メッセージを流すようなゲームも増えている。
 文字表現によるセリフについては、2013年の追記には書いていなかったが、セガ龍が如くなどで、特に話しかけるアクションをしていなくても周囲のキャラクタがフキダシのように小さなメッセージウィンドウを頭上に浮かべる演出がなされている。
 これは、雑踏の中で聞くともなしに聞こえてくる会話を非常にうまく再現しているし、他のジャンルでは見かけないゲームらしいシステムだ。